明日、6月10日(金)第8期の定期株主総会をおこないます。
おかげさまで丸8年、無事にやってこられました。
総会の準備は意外と大変な作業です。もちろん小さな事務所なので、簡単に済ますこともできるのですが、不思議とこれには真面目に取り組んできました。おそらく組織の「これまで」と「これから」を確認するための貴重な機会だという思いがあるからなのでしょう。
そしてこれまで、目先の勝負に溺れず、本来の目的を見失わずにこれたのも、毎年これをやってきたおかげだと思っています。
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さて、私たちはこれまで「会社組織」として考古学に向き合ってわけですが、ふり返ってみるととても面白い作業だったと改めて感じます。
最初は「無」から始まりました。道具もない、場所もない、実績もない、それ故仕事もないが、面倒な「しがらみ」も一切ない。創立日を境に、それ以前の「過去」が全くないのだから当然のことです。
はじめから存在した唯一のものは、空中を漂うある種の「思い」だけでした。
そしてその「 思い」に最初の数人が集まり、資金、道具を調達し、人材を増やしつつ、それらの循環や調和を創造していくという作業でした。
こんな風に最初は「 思い」が中心にあり、その他は全てまっさらの「白紙」という状態でしたから、そこには自由な発想で何を描いても良いし、そこに描いたものは、ダメと思えばすぐにでも破り捨て、新しいことを描き直すことができるわけです。これほどクリエイティブな作業が面白くないわけがありません。
この中心となる「 思い」とは、一般には「企業理念」と呼ばれるものです。
そして、こんな小さな会社とて、譲れない「哲学」はちゃんとあるのです。
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ところで、学生の頃から私は「戦後第一世代」の考古学者のお話を聴くことが好きでした。この世代の先生方は、本当にエネルギッシュでユーモアのある「落語家」のような先生が多く、講義(講演)の終わる頃には、すっかり心をつかまれてしまいます。今でもこの世代の先生の講演があると聞けば、少々足を伸ばしてでも聴きに行きます。
ただ、起業経験後の聴き方は、学生の頃とはやや異なります。
戦後の焼け野原から、今ある考古学の礎を築いてきた世代が、どのような考えでこの方法と仕組みを描きだしたのか? 当時の真意を探るような聴き方に変わったように思います。
仮に先生が、この現代に働き盛りを迎えていたなら・・・すでに黄ばんでしまった1枚目の絵を破り、その下から現れたキレイな「白紙」にも、やはり再び同じ絵を描くでしょうか?いや、まさか今の状況を考えるとそれはないでしょう。
同じでないとすれば、どのようなスキームを創造するのだろう?
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株主総会の時期になると、いつもこんな事を考えます。
1)理念はブレていないか
2)環境はどう変わったか
3)対する方法は最適化されているか
定期的に自らこの確認をおこなうことは大切だと思います。
「本質」を見失わないためにも、今後もまじめに続けていこうと思います。
それでは。
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