2015年10月2日金曜日

考古学における「ターゲット」とは何者か?

こんばんは。YOKOYAMAです。

先月は学会で海外に出かける機会に恵まれて心身ともにリフレッシュできました。ただその後も休む間もなく遺跡計測や入札、打合せなどが目白押し、おかげさまで忙しくあちこち駆け回っています。今日は週末の学会に参加するために先程東京入り、その足で今回は早稲田大学考古学研究室の調査合宿にはじめて参加させていただく予定です。最近、大学生や院生など20代のエネルギーをもらう機会がとても楽しみです。40過ぎてのこの感覚は何なのでしょうか?



さて、最近一緒に活動している考古学者のあいだで、情報のあり方、その共有のあり方についてのコメントが多くなった気がします。現在の考古学では遺跡や遺物の記録は、特定の人がその解釈結果を線画化するという記録方法をベースとしているため、第三者がそれを検証するための資料が生成されない...というものです。この課題への対応としては、これまでもここでくり返し言及してきたように、3次元技術やデータベース、ネットワーク技術をその幹に配置することで解決されていきますが、それをいざ実行したいと思っても周囲からの理解が得られないというケースがとても多いようです。

このようなテーマが考古学で議論されはじめたのは90年代後半頃のことです。そこから15年以上もの長い間、何故その内容をほとんど変えることなく現在に至るのかその理由のひとつとして「これまでに刊行された報告書との仕様上の連続性、整合性がとれないから」という意見にしばしば出会います。なるほどもっともな理由のように思えます。今日はこの辺りについて私なりに解きほどいてみたいと思います。




さて、私がこの問題を考える上で着目しているのが「アーカイブズ学」という比較的新しいジャンルです。考古学に限ったことではなく、加速度的に増加するドキュメントが堆く積み重なり管理不能に陥っている状況は、あらゆる組織や機関、ひいては現代社会の抱える深刻な問題となってきました。この問題への日本の対応はひところ世界から遅れをとっていましたが、2004年になって「日本アーカイブズ学会」という団体が設立されました。これを契機に国内でも徐々に先行する海外研究の紹介や、直接的に問題に対応するための議論が活発になっています。 

このアーカイブズ学とは簡単に言えば、記録作成者を新たに「アーキビスト」という高度な専門職として分化させ、その目的や役割、方法を明確化することによって現代的な記録の仕組みを作る研究だと理解しています。

「日本のアーカイブズ運動は歴史研究者の史料保存運動として展開したがために、すでに述べましたように「史料」に呪縛され、アーカイブズを歴史研究の場とみなす思いに強く規定されてきました。そのため文書館なる場は歴史好きの集う場と見なされているのが現状です。
しかしアーカイブズは公文書館にせよ文書館にせよ、当該社会の営みを記録した資料を組織的・体系的に残すことをとおし、社会の構成員、共同体をになう一人ひとりに己の目で社会の営み、協同体のあり方を検証するなかに、己の場を確かめることを可能とする器なのです。そのためにもいかに記録を管理するかという法的枠組みが必要となります。」大濱徹也2007「アーカイブズへの眼ー記録の管理と保存の哲学ー」刀水書房

これは私が常にアーカイブズの本質がよくわかるものとして好んで引用する文章です。要するに、「社会の構成員、共同体をになう人」が能動的に共有の「」であるアーカイズにアクセスして己の場を確かめることができる....そういう状態をもってアーカイブズであるということが理解できます。


では次に、考古学において「社会の構成員、共同体をになう人」とは誰のことを指しているのか?について考えてみたいと思います。

下図 左下に記録者がいます。これはたとえば私のような実測図を描く人間です。この人が、現在日本には約6000人の考古学専門家がいると言われていますが、この6000人の専門家に実測図という情報を提供しているわけです。周知の通り実測図は「描ける人しか読めない」「読める人しか描けない」媒体なので、現在の情報のやりとりは、この閉じた世界で完結しているわけです。大濱さんの言う「社会の構成員、共同体をになう人」が、この6001人であるならば、これで何ら問題は無いわけです。




ところが、私達の存立基盤となる文化財保護法の筆頭、総則、第一条を、ここであらためて引用したいと思います。 

「この法律は、文化財を保存し、且つ、活用を図り、もって国民の文化的向上に資すると共に、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」文化財保護法、総則、第 一条

...とあります。「国民の文化的向上に資する」ということならば、そのターゲットは日本人12千万人になりますので当初の6000人に対してその2万倍ものターゲットが想定されます。
さらに「世界文化の進歩に貢献する」ということならば、現在の世界人口約60億人とすると、6000人に対してその100万倍ものターゲットを想定する必要があると言えるでしょう。



さらに注意したいのは、この法には期限がないということです。期限とは法的効力のことではなく、たとえば今から10年後の人を満足させればOKとか、今から100年後の人までを満足させれば十分だという..いわば耐用年数がないのです。自動車であれば10年乗った車が故障したといってメーカーに怒鳴り込む人はまず居ないわけで、メーカー側とユーザー側には暗黙の耐用年数が存在していることがわかります。しかし考古学の記録にはこれがない。つまり未来永劫にユーザーの要求を満たすものをつくる必要があるわけです。



これを踏まえて考古学におけるターゲットを定義すると...

「現在生きている人」+「これから生をうける人」

...ということになります。世界中へ、且つ未来永劫に...ということですから、記録者はもう途轍もなく重たい責任を背負っていることがわかります。


さて、このようにターゲットを定義できたときに、はじめて今やるべきことが定まります。ターゲットが現在および未来における不特定多数である以上、記録として残す情報は、現在の人間の感覚で読みとり得た事象では事足りないということなのです。無数の観点であったり、時代を追って次々に変化する観点から多角的な検証を可能にするための定量的なコンテンツをつくることがまず第一要件、そして、それらが共有の「器」の中にあり、ターゲットがいつでも「己の場を確かめる」ためにこれを見に来ることを前提とした仕組みの構築が第二の要件となります。

しかし今回ここで最も強調したかったことは、これと背中合わせの事実です。見過ごされがちなのは「過去に生きた人」へは、どんなに腕の立つ記録者がどれだけ頑張ったって情報を供給することができないという点ですすなわち過去の人は残念ながらターゲットの外に位置づけるしかない....これが私が「これまでに刊行された報告書との仕様上の連続性、整合性がとれない」ことに自ら過剰に束縛されないほうが良いと考える理由です。

「過去に生きた人」も当然、その時々に考え得る最善だと思う記録方法を選択してきたはずです。現在の考古学が先学から継承する部分は、過去の考古学者がそうしてきたように、ゼロベースで常に最善の記録方法を選択する行為であり、コンテンツの仕様そのものではありません。過去の記録法に現在から歩み寄ることにどれほどの意味があるのでしょうか?


とはいえこのようなアーカイブズを体系的に実現するのはとてつもない大仕事です。具体的に情報作成~情報共有までのスキームを設計ようとしたときに、その時点で存在する技術が全てを解決してくれるとは限らないというのも事実です。ハード、ソフト、ネットワークサービスの仕様や価格などを考慮して、現時点でココの部分はまだ現実的じゃないな...というところは当然でてきます。 

それでもなお予めこの設計を試みることには意味があります。全体の仕組みを具体化することで、うまく行かないある部分において何が問題なのか(速度精度コスト?)... つまり全体の完成を妨げているボトルネックが何か?を鮮明にあぶり出すことができ、これにより「待ち」の状態をつくることができるからです。自分がどの牌をまっているかが明確になれば、適切なものが現れた瞬間にサッとそのボトルネックを解消することができます。

こういう技術は年々高性能化、低価格化が進みます。時には突如ブレークスルーがあらわれることもあります。いずれにせよ確実に去年より今年の方がパフォーマンスが上がるということを前提にものごと考えて良い分野なので、思考を先へ先へと進めていけば良いと思っています。


さて、日々の経営は目が回るほどですが、一方で職業人としての生涯なんて思いのほか短いぞ...などという大先輩の忠告もよく耳にします。自分に与えられた少ない時間を有効に使うためにも、こういうビジョンやスケール感、そして上述のような B2C的感覚を共有できる人とともに今後も研究や仕事を進めていければと思います。
おそらく20代の若い研究者と会うのが楽しみだという感覚は、この辺りへの期待感にあるのかもしれません。

それではまた。 

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