2011年12月7日水曜日

Dual Symposia に参加・・そして考えたこと

こんばんは。YOKOYAMAです。

去る11月26日から12月1日までの6日間、”Dual Symposia : APA annual meeting &  Modern Human Behavior Symposium” に参加してきました。シンポジウムが終わってからしばらくの間ボーッとしていましたが、ようやく正気にもどってきました。

6日間という長丁場、朝の9時から夕方6時まで、絶え間なく浴びせられる英語から何とかキーワードを拾い出そうと意識を集中していた疲れも勿論ありますが、放心の理由はこれとはまた別なので、今日はそれについて書いておきたいと思います。


私は大学院生だった1998~1999年、中東のネアンデルタール人の洞窟遺跡の調査に参加していました。それまで国内の石器しか関わったことがなかったので、その国へ発つ前に慌ててムステリアン石器群について初めてにわか勉強をしたわけです。

当時の人類学的な背景は、1986年に発表されていたDNA解読による人類進化仮説(ミトコンドリア・イブ仮説)が既に旧来の多地域進化仮説を凌駕していました。当然まだアラビア半島ルート説などは影も形もないわけで、アフリカ大陸からユーラシア大陸に跨がる死海地溝の北端に位置するその遺跡は、アフリカの唯一の出入り口、まさにネアンデルタール人とホモ=サピエンスがめまぐるしく交錯する「最前線」に立地する、という認識でした。

現地に入ったときの印象は、やはり衝撃的でした。あらかじめ仕入れていた本からの知識、いわゆるフランソワ=ボルドのタイプリストそのままの典型的なルヴァロワ石核、剥片、ツール類の夥しい数もさることながら、洞窟の中に設定された調査区はまるで貝塚の貝ように石器、リクガメの甲羅、山羊の骨などが累々と堆積しており、それらの隙間に詰まったコウモリの糞の堆積物を竹ベラ、竹串で掻き出すことで掘り下げを進める、という何とも刺激的な調査で・・・しばらくの間、興奮を抑えられませんでした。

毎夜のミーティングでは、考古学、形質人類学、動物学、植物学、炭素分析など多分野多国籍のチームが環になり、常に「この遺跡の人類史的意義を念頭に、その日出土したhuman bone , animal bone , lithics はどうか?」という空気の中で日々の成果が整理されました。

結局大学院には3年間在籍しましたが、残りの一年は修士論文作成のために再び国内一本に頭を切り替えて石器の分析を行いました。ちょうどその年に旧石器遺跡捏造が発覚→それを機に情報の「定量化」「共有化」が不可欠と感じ→新しいシステムの考案→そして事業化へ・・とその時々の関心に従い進んできました。

そして起業後のとんでもなくハードな日々のなかで、いつしか中東と日本での2つの体験をしっかりと消化しきれず、自らそれぞれが2つ異なる「考古学」であるかのように記憶、沈着させてしまっていたような気がします。

APA最後のディスカッションでの一幕。言わずと知れた考古学の世界的大家、ケンブリッジ大学のポール・メラーズ博士(右下)と、近年ロシアのデニソワ洞窟の調査で人類進化の定説を覆すような新説を唱え世界から注目を集めているロシア科学アカデミーのミハイル・V・シュンコフ博士(左上)による白熱した議論。その距離およそ3メートル。まさに一流の真剣勝負。

さて話しは戻って、今回の国際シンポジウムでは、アフリカ、黒海周辺、ヨーロッパ、アルタイ、シベリア、アメリカ、東アジア、東南アジア、南アジア、オーストラリアなど様々な地域の一次資料、定量分析例が大量に提示されました。そしてディスカッションでは、それらの資料が Modern human behaviorの拡散において、どのような「証拠」となるか?何を意味するか?を軸に熱のこもった議論が交わされましました。

これは、私が勝手に「別問題」としていた2つの石器時代が、あれから12年を経た今回、第2次アウト・オブ・アフリカに端を発する一連の人類史的コンテクストのなかに、いとも易々とジョイントしてしまったということで、それに良い意味での驚きを禁じ得なかったわけなのです。

冷静に考えればごく当たり前のことなのですが、テーマを大きく設定すれば、これまでそれぞれ自己完結していた多数の小テーマを包括できます。しかしそれが大きくなればなるほど、世界中のテーマを共にする研究者達が、今後これらの「証拠」をどのように共有していくのか・・・つまり標準化という課題が新たに浮上するわけです。スケールは途方もなく大きくなっていきますね。

この1週間、ボーっとしていたのは、そんなことをグルグルと考えていたからでした。しかし、いいかげんこの記事のアップをもって頭を切り換えることにします。

とにかく、すばらしく刺激的な会でした。私は単に参加するだけでしたが、ホストとしてシンポジウムの成功を陰で支えられた日本旧石器学会の実行委員の方々は本当に大変だったと思います。心から感謝申し上げます。

それでは。

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