こんばんは。YOKOYAMAです。
先月は学会で海外に出かける機会に恵まれて心身ともにリフレッシュできました。ただその後も休む間もなく遺跡計測や入札、打合せなどが目白押し、おかげさまで忙しくあちこち駆け回っています。今日は週末の学会に参加するために先程東京入り、その足で今回は早稲田大学考古学研究室の調査合宿にはじめて参加させていただく予定です。最近、大学生や院生など20代のエネルギーをもらう機会がとても楽しみです。40過ぎてのこの感覚は何なのでしょうか?
さて、最近一緒に活動している考古学者のあいだで、情報のあり方、その共有のあり方についてのコメントが多くなった気がします。現在の考古学では遺跡や遺物の記録は、特定の人がその解釈結果を線画化するという記録方法をベースとしているため、第三者がそれを検証するための資料が生成されない...というものです。この課題への対応としては、これまでもここでくり返し言及してきたように、3次元技術やデータベース、ネットワーク技術をその幹に配置することで解決されていきますが、それをいざ実行したいと思っても周囲からの理解が得られないというケースがとても多いようです。
このようなテーマが考古学で議論されはじめたのは90年代後半頃のことです。そこから15年以上もの長い間、何故その内容をほとんど変えることなく現在に至るのか? その理由のひとつとして「これまでに刊行された報告書との仕様上の連続性、整合性がとれないから」という意見にしばしば出会います。なるほどもっともな理由のように思えます。今日はこの辺りについて私なりに解きほどいてみたいと思います。