2011年3月25日金曜日

「アーカイブズ」と「アーキビスト」について

こんばんは。YOKOYAMAです。

最近「アーカイブ」という単語をよく耳にします。この語は、私の基本的なスタンスと関わる部分ですので、今日はこの単語に触れてみたいと思います。


この語が日本で一般化したのは、NHKの番組「アーカイブス」という番組がきっかけなのだそうです。私もこの番組タイトルで初めてこの単語の意味を知りました。


加速度的に増加する資料が堆く積み重なり、管理不能に陥っている状況は、現代社会の抱える深刻な問題です。この問題への日本の対応はひところ世界から遅れをとっていたそうですが、2004年になって「日本アーカイブズ学会」という団体が設立されています。国内でも徐々に先行する海外研究の紹介や、問題に対応するための議論が活発になってきています。

「アーカイブズ学」とは簡単に言えば、記録作成者を、新たに「アーキビスト」という高度な専門職として分化独立させ、その目的や役割、方法を明確化することによって現代的な「記録」の仕組みを作る研究だと理解しています。

このジャンルの論考には、私の住まう業界(=考古学)にとって示唆的なセンテンスが頻出します。それらのなかからアーカイブズ、アーキビストが端的にわかる「納得のセンテンスメモ」、以下3連発です。


1)アーキビストと歴史家の役割の違いについてはJean-Pierre Wallot 1991によって明確にされています。

特定の研究者のニーズに応えることがアーキビストの第一の目的や役割ではないのです。森の生態や意味を読み解き、それを実地に調査する方針をたてることがアーキビストの第一の目的であり役割なのです。研究者のニーズに対する責務はその役割を果たすことで全うできるのです。」その一方で、「歴史家は[情報を]評価しその因果関係を明らかにする説明をつくりあげる」という明確な役割分担が示されています。
※Jean-Pierre Wallot 1991(塚田治郎訳)「現在の歴史を生きた記憶として刻印するーアーカイブズ評価選別の新しい視点」「レコードマネージメント」No.50
(原著) Building a living memory for the history of our present : new perspectives on archival appraisal. Jounal of the Canadian Historical Association, Vol. 2 1991, p.263-282.

2)アーキビストの役割と方向性については、Eric Ketelaar 2004から引用。

21世紀において、アーキビストの使命について社会が抱く期待の変化は現代の情報通信技術が場所、時間、媒体の制約を無くしたことにより、激しくなっています。期待の変化は新しい可能性を提供してくれますが、新しい課題をも突きつけます。アーキビストは現代の情報通信技術を使うことなしに使命を遂行することが出来ません。これはしかし、アーキビストが情報通信技術の専門家に代わることを求めるものではありません。アーキビストは情報通信技術をどのように使うか知る必要がありますが、もっと重要なことは、現代技術のアーカイブズ分野における戦略的意味合いと、社会的・文化的実践に与える影響を理解することです。」
※Eric Ketelaar 2004(児玉優子訳)「未来の時は過去の時のなかにー21世紀のアーカイブ学」『アーカイブズ学研究』No.1
(原著) Time future contained in time past : archival science in the 21st century.『アーカイブズ学研究』No.1, 2004, p.20-35.

3)アーカイブズの対象とすべき顧客(ターゲット)から、アーキビストのあり方を示したものは、大濱徹也氏2007からこのセンテンス。

「日本のアーカイブズ運動は歴史研究者の史料保存運動として展開したがために、すでに述べましたように「史料」に呪縛され、アーカイブズを歴史研究の場とみなす思いに強く規定されてきました。そのため文書館なる場は歴史好きの集う場と見なされているのが現状です。しかしアーカイブズは公文書館にせよ文書館にせよ、当該社会の営みを記録した資料を組織的・体系的に残すことをとおし、社会の構成員、共同体をになう一人ひとりに己の目で社会の営み、協同体のあり方を検証するなかに、己の場を確かめることを可能とする器なのです。そのためにもいかに記録を管理するかという法的枠組みが必要となります。」
※大濱徹也2007「アーカイブズへの眼ー記録の管理と保存の哲学ー」刀水書房

考古学は今、悩める時代にありますが、今の段階で「そうあるべきだ」とか「べきでない」的な話しは、陰鬱なうえに不毛の感があるので、私は興味がありません。
ただし、このアーカイブ研究の主旨を肯定してみた先に生まれる「もうひとつの仕組み」には、現代人として高い関心をもっています。将来のビジョンを、選択肢として準備してから交わされる議論は、さぞかし効果的なものになるはずです。


それでは。

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