2011年5月7日土曜日

「生データを共有すること」とはどういうことか?

こんばんは。YOKOYAMAです。

大震災からもう少しで2ヶ月が経とうとしています。正直ものすごく長く感じました。この間に様々なことを考えましたが、今日はそのなかで「情報の共有」についてまとめておきたいと思います。

岩手県内陸部に住む私は、巨大地震による停電の中で丸3日間過ごしました。その間の情報は、電池式のラジオを通して得ていました。ラジオでは「観測史上最大の・・」「未曾有の・・」「・・は壊滅状態」という形容詞が繰り返し登場し、想像もつかない大変なことが起こっていることは知ることができました。ただし音による具体的な説明を得ながらも、実際に何が起こっているのかをはっきりと理解できたのは、停電復旧後、動画共有サイトにアップロードされた多くの津波映像を見た後のことでした(不思議なことにテレビはあまり見ませんでした)。 




津波災害に関する「情報の成り立ち」

まずは、今回私が得ていた「津波の情報」をその成り立ちから3種類に整理します。

1)ラジオからの情報
ひとつは、停電中にラジオから得ていた情報(上図の青色の範囲)です。「建物や車が津波によって押し流され、広い範囲が一瞬にして瓦礫の山と化し・・・。」これは、確かに災害の「評価」ではありましたが、それは情報の発信者を媒介した100%伝聞による情報になります。このラジオによる情報は定番ともいえるものであり、過去に起こった津波災害のそれと大きな差はないでしょう。

2)動画共有サイトの生映像
2つめは「生の映像」(上図黄色の範囲)です。これらの映像は、津波現場にいた人、あるいは現地に準備された映像入力装置によって撮影されたもので、撮影者が自ら動画共有サイトにアップロードしたものです。映像は、そのほとんどが津波が襲ってくる間、淡々とカメラを回し続けていたものです。動画共有サイトには、様々な場所、様々な角度からの津波の「生映像」がありました。大部分の人が映像の入力装置を携帯し、撮影した映像を簡単に共有できるサイトが準備されている世の中ですから、これだけの資料があっという間に出そろうのは必然といって良いかもしれません。

3)動画共有サイトの被加工情報
3つめは「生映像+解説」(上図で黄色+青色の範囲)です。これは、報道番組の録画映像で、視聴者がサイトにアップしたものです。上図の評価対象「A」を題材に、スタジオにいる津波、地震、防災、建築、メンタル・・などの専門家が、そこから読み取られる情報を解説的に付加しているタイプの映像です。 ほんの数分の短い生映像には実に多くの事柄が記されていることがわかります。例えば津波の速さ、引き波の強さ、地面から吹き出す砂泥やメタンガス、津波の上に広がる炎、倒壊した家や車が衝突しあう音、逃げる車や人、なかには水際に向かっていく人、悲鳴や怒号なども含めた周囲の会話からわかる心理状態・・・。短い映像のなかに記録された一見見過ごしがちな細かな事象に、それぞれのエキスパートの観察眼によってスポットライトがあてられ、それが実は重要な事として炙りだされるわけです。

このように生映像と解説が一体のコンテンツとなっていることが重要で、この重層構造が情報の受け手の深い理解を促すことになります。上図の例では、たまたま「A」という映像が直ちにエキスパート達の評価対象となりましたが、A以外の映像も共有されている以上、いつでも評価の俎上に乗せることができるわけです。また「A」を違う切り口から見る専門家がいても良いでしょうし、数十年後さらに研究が進展し、その評価基準が変化したとしても「A」を再び俎上に乗せることができます。いいかえれば生の記録は「評価」の上着を幾重にも重ねることによって、「活きた記録」あるいは「成長する記録」として残すことができると考えます。


さて、今回の津波情報の成り立ちに着目した場合、過去のどの災害とも異なることは、「限られた短い時間に、大量の生映像が撮影され、共有されたことである」とまとめたいと思います。 

残念ながら大きな犠牲と引き替えに・・ではありますが、ひとたび再建、復興へと視線を転じたとき、これらの共有された生の資料が、将来のどれだけの人命を救うことになるかを考えると、その史料的価値は計り知れないものがあると思います。



考古資料に関する「情報の成り立ち」

さて話題はかわりまして、5年ほど前に考古学系の研究会でこんな図を提示しました。考古資料を「保存」「共有」するための構造を図に展開したものです。



3D計測とデータ解析によって作成した「生データ(黄色の範囲)」を「評価(青色の範囲)」が包んでいる状態を表しています。 この図を提示した意図は、(個別の厳しい事情はあれど) 最低でも3Dスキャンによる「生データ」だけは保存しようという提案であり、今もその考えは変わっていません。すでにお気づきと思いますが、この成り立ちは津波情報のそれとほぼ同じです。

私達は、2001年から考古学資料の3次元データの製作、それに基づいた実測図の作成を行なってきました。この10年間の3次元技術の進歩は目覚ましく、計測器やそれを制御するソフトウエアにおいても年々操作が簡易化されるとともに低価格化も進み、考古資料への本格的な導入の障害となる要素は徐々に取り除かれていきています。こういった時流と連動するように、各学会においても考古資料の記録に3次元形状計測を導入した事例研究が増加して、いまやこの種の試みは研究ベースでは特別なものではくなった感があります。

ところが日本の埋蔵文化財の記録調査では、まだまだ3次元計測の手法が積極的に導入されつつあるとは言い難く、記録は依然として「実測図」として保存管理するのが一般的です。実測図とは、対象資料の製作や使用に関する技術の解釈図です。作図者は対象の表面に残された微細な起伏から、人工的な変形の単位を認識し、その単位がそれぞれどのような工具で、どの方向から、どのような順序で加えられたものなのかを推定します。そしてその推定結果を2次元平面に「線」を用いて記号的に表記します。当然ながらこの記録方法は解釈図であるがために、図化精度、再現性、比較対照性、歪曲、隠蔽、錯誤、製作コストなど、様々なリスクと常に表裏一体の関係にあることもまた事実です。

しかし、これら多くのマイナス要素を抱えてなお実測図が重視される理由の一つは、観察によって得られた個々の資料の技術情報を、別途準備された概念的な時空間上に再配置することによって、文化的な特性、関係性が明らかになる・・という学問的展望のもとに「記録」の意義が強調されてきたからだと考えています。もちろん私も、考古学においてこの技術に関わる「評価」は重要な要素のひとつだと考えており、曲がりなりにもプロとして、より「優れた評価者になること」は私の目標でもあります。

しかしながら、その一方で「記録」は「記録」、「評価」は「評価」だという考えをもっています。つまり「優れた記録を構築すること」と「優れた評価をすること」とは、(特に遺物実測図というカテゴリにおいては)それぞれ別のものだということです

さて、過去にも取り上げましたが、重要なことなので Jean-Pierre Wallot 、再び引用します。
特定の研究者のニーズに応えることがアーキビストの第一の目的や役割ではないのです。森の生態や意味を読み解き、それを実地に調査する方針をたてることがアーキビストの第一の目的であり役割なのです。研究者のニーズに対する責務はその役割を果たすことで全うできるのです。
※Jean-Pierre Wallot 1991(塚田治郎訳)「現在の歴史を生きた記憶として刻印するーアーカイブズ評価選別の新しい視点」「レコードマネージメント」

今回の津波映像を見た人の目的はそれぞれであったと思います。必ずしも全員が、津波現象の学術的な解説を求めた人ばかりではありませんでした。中には、その映像のなかに、自分の生まれ育った家、安否のわからない家族の顔がないか?動く人影のちょっとした仕草も見逃すまいと食い入るように見ていた方が大勢いたことは想像に難くありません。

生データに含まれる無限の情報の中から、各々にとって重要な情報を抽出できる成り立ちであること」は、記録の構造として大切なことなのです。


さて話を考古学に戻します。

調査委託の諸問題、 調査費用問題、蔵書海外寄贈問題、旧石器捏造問題、遺物廃棄問題、報告書未刊行問題、財団廃止問題、 そして災害による文化財の破損消失問題・・・率直に言えば、埋蔵文化財を取り巻くほとんどの問題は「金が足りないこと」から発生しています。それもそのはずで、現状のシステムは右上がりの時代に最適化された設計ですから、いまの時代に様々なトラブルが噴出するのは、致し方のないことだと思います。

しかし不思議なのは、ほとんど「変化」の兆しが感じられないことです。今後「どうするか?」「どうリフォームしていくか?」について具体的な話を詰めていかない限り、解決することはないと思うのですが。 いや失礼。言い直すと「リフォームすることによって、解決できる」ですね。

私は、このリフォームの方向性として適切なのは、生データを記録し共有するシステムを構築することだと本気で考えています。 ただし、これを実現するためには、大小いくつかの技術上の課題があることも事実です。この課題についても今後、徐々に整理してお話していきたいと思います。


やや暑苦しい文体になってしまいました・・。
夜も更けたせいにしておこう。

それでは。

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